驚いてしまったのは、挨拶ができることだ。
当たり前のことなのだが、今までのスタッフからの経験からすると、まず、声が小さい、挨拶が出来ない、報告しない。という所から叩き直さなくてはならない。この研修生は来客があったらこちらの指示も無いのにお茶まで出してしまう配慮まである。驚きである。社会に上手く溶け込むだろうなと思った。
友人の会社では社員教育で頭を悩ませている。来客があった場合、挨拶をしない。指示するまでお茶を出すということができない。彼は業を煮やして、今年から社員に「お茶」を習いに業務時間内に行かせることにしたそうだ。それで、何かが変るようにも思えないのだが、配慮のある心を養うために実施するそうだ。どうだか・・・。
ちなみに、当社は以前、来客にお茶を出すのが社員の仕事とも思わないので、ミーティング室にお茶のセットを置いて各自が振舞うようにした。僕が無職時代に手捻りで作った茶碗が沢山あったので、抹茶を立てていたのだが、客の方が気を使うようで現在は辞めている。
僕は何となく感じていたのだが、若者の配慮の無さについては、親の職業と密接に絡んでいるように思っている。商売人の家に生まれた子供は親の職業柄か社会人としての営業センスを小さな頃から学んでいるように思う。自らをプレゼンテーションし相手に何かを伝えなくてはならないという作法を心得ているのだろうと思う。しかし、僕は商売人の家に育ったが、他人とのコミュニケーションを取るのが得意でない。おそらく育った環境によるのだろうと思っている。
話は変るが、ある司法書士に困っている。
この司法書士にも上記の配慮が無いために「エーッ!」ということがこのところ重なっている。費用が安いので、いつも頼んでいたんだけど、少し複雑なことになると、一気に配慮の無さが見えてきた。
今回のトラブルは土地の確定測量をお願いしたことで発生した。確定測量が終わったということなので、図面を送ってもらうと、なんと登記簿の面積より20uも小さいことが解った。土地所有者が納得したポイントを測った結果がそうなのだから仕方がないといえばそうなのだが、当方としたら計画案のやり直しである。登記簿より面積の少ない土地はままあることだが、これほど大きな数字は初めてだ。しかも荒野の中ではなく大阪市内である。きっと、その数字分の物語がある筈なのである。物語は計画案に少なからず影響をする。
お互い見ず知らずの間柄ではないし、何のために依頼しているのかまったく解っていなかったようだ。途中で十分におかしいと思ったはずで、そのときになぜ連絡してこなかったのかまったく理解に苦しむ。これを配慮の無さというのではないのだろうか?