もうそろそろ秋になってもよさそうだが・・・。
秋になると法隆寺に行きたくなる。
柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺
誰もが知っている有名な俳句だが、以前から判然としない句だ。
しかし、何となく法隆寺のボワーンとした雰囲気が感じられ、好きだ。
この寺には多くの不思議がつきまとう。おそらく、訪れた多くの人の琴線に触れるものがこの寺にはあるからのように思う。
その不思議の中でも、中門の中央の柱の存在は色んな解釈があるようだ。僕の知っている寺院で出入り口を塞ぐような柱のあるものは無いので、皆と同じく「なぜ?」と思ってしまう。
強烈な解釈は梅原猛の説で、聖徳太子の怨念を閉じ込める意味があるという解釈だ。現在の法隆寺は新しく建て直されたもので、当時の偽政者に対する、山背大兄皇子の自害と一族の滅亡に対する厩戸の怨念を法隆寺に閉じ込めようと意図したものが中門の中柱にあるということだ。初めてその解釈を知ったときは、思わずその慧眼に膝を打ったものだ。急速に法隆寺のことが知りたくなった。しかし、その後、何度か法隆寺を訪れているうちに、僕には梅原猛の解釈は法隆寺の醸し出す雰囲気と、どうもピッタリとこない。色んな法隆寺関係の図書を読んでいるうちに、法隆寺という寺には日本文化の原点を感じざるを得ないものがあるように思っている。
伽藍配置の特異性
天皇家と法隆寺
伊勢神宮と法隆寺
等々
折につけ僕なりに獲得した解釈を纏めていこうと思う。

