2009年11月21日

年金

僕は年金をもらえないものだと何となく思っていた。
そんなものに頼らなくて生きたい!と強気な発言はしているものの、未納期間が相当あるから、このまま権利を獲得するまで、僕はこの世に居てるのか・・・と思っているのだ。

年金取得権利を取得するのには300ヶ月以上の納付が必要で僕は現在200ヶ月くらいしか納付していないと、年金特別便?が言ってきた。
26歳で学校を卒業しているので、まともな会社に勤めていたら既に400ヶ月近い厚生年金を納入をしているはずである。年金便の内容を見ると誤記はないようなので間違っている!と暴れるわけにもいかない。
あと100ヶ月は支払い続けなければならない・・・。あと約8年強である。
それまで、生きているのか?
何となく、毎月、社保庁への支払いをするたびに、払う意味があるのか・・・と思ってしまう。超零細企業にとっては馬鹿にならない金額だ。義務と言われても、近年の社保庁へのパッシングを見聞きしていると複雑な気分だ。

奥様にも特別便が届いていて、彼女は権利をばっちり得ている。60歳から微々たるものだがお金が入ると喜んでいた。僕に「なんでそんなに未納しているのか!」となじられる。所得が無かったから仕方が無い。今更である。しかし、当時、聞いたところ「奥さんが払っていたら良い」と役所の人が言ってたんだけどなあ(これは事実!)・・・と、責任は僕だけではないと、弱々しく応えるだけである。数年前に社保庁に行った際にそのことを言ってみたのだが、暖簾に腕押しで、65歳を超えて支払う必要があるという返答だった。僕の聞いたことと内容が違うので、そのうち機会を見つけて暴れてやる!とひたすら機会を待っているのだ。ただ、彼女もなぜか未納が3ヶ月あるということなので、今から支払えるか社保庁に聞いてくるという。何と言う完璧主義者なのだと呆れる。

昨夜、帰宅すると、奥様は社保庁に行ってきたとのこと。
なんと!!
僕の言っていたことが認められる方法があるとのことだ!!!
社保庁に僕の特別便を持って、亭主がこんなことを言っていると、駄目元で話してみると、最初は300ヶ月は最低支払わなくてはならないという返答だったようだが、彼女の特別便と見比べて、なんと救済ができるのでは?と職員が言い出し、資料を色々と引っ張り出して来たとのこと。結果、彼女が勤めていた時期は僕が以前に聞いていた通りだったようだ。なんと!書類を出せば、43ヶ月の権利が僕は認められるとのことだ。4年近く権利獲得まで短縮されるのだ。しかし、職員は浮かない顔をしている。60歳を超えても社会保険を支払う必要があるので、大手を上げて喜ぶべきではないとのこと。亭主は60歳超えても働きますよ!と言うが、定年があるでしょうとのこと。亭主は自営業みたいなものなので、定年はありませんよ、と言うと、その職員曰く、良かった!!とのこと。
確かに良かった!なのだが、何となく複雑である。

しかし、でかした!女房殿である。
僕も偉そうな強気発言をするものの、貰えるものは嬉しいのだ。
結局、バラマキ大好きなのだ。だから政権交代があったのだろう。

社保庁もパッシングを受けて、少しは国民目線に変りつつあるのだろうか?
posted by らまんちゃん at 17:26| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

『オーデュポンの祈り』

伊坂幸太郎の処女作とのことだ。
現代人が忘れ去った風景や気持ちを思い出させてくれるような、心が洗われる小説だ。読んでいる最中、頭の中に明快な風景が浮かんでくる。その情景は読んだ者の記憶の中にある哀愁のある風景なのだろうと思う。この人は天才だと思う。
いかに高度な高級なことを語っていようが、作家の本髄はストリーテラーであるかどうかだと思う。この作家は宮本輝以来の最高のストーリーテラーだと思う。

NHKの爆問学問で国会図書館館長の長尾真氏との対談を見た。
所蔵庫の貴重本のコーナーで、オーデュポンの画集が出てきて、驚いた。まず、大きさが尋常ではない。一枚が畳1畳くらいありそうな大きさで、その中に鳥類の精密画が実物大で描かれている。オーデュポン氏は19世紀の人なのだが、当時の画集というのはこんな巨大なものだったのだろうか?と、もうそのサイズだけで腰が抜けそうなくらい驚いた。それが400枚以上ある画集なのだ。

『オーデュポンの祈り』はその中に描かれているリョコウバトという1914年に絶滅したハトがキーワードだ。このハトは北アメリカでは10億匹くらいが一斉に飛んでいたというのだから、想像するに映画インデペンデンス・デイの巨大円盤が飛来してきたくらいの迫力があったのではないのだろうか?飛来した後の糞が大変だったようだ。それが、ほぼ、19世紀末から20世紀の初頭で絶滅してしまった。
オーデュポン_ヨコウバト.gif
このハトをキーワードに様々な事件が起こる。様々な登場人物は皆魅力的で、主演を張れそうなくらい個性満点だ。
まことに良い小説を読んだ幸福感があった。
posted by らまんちゃん at 19:01| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

This is it

幻に終わったロンドン公演のリハーサルのメイキングビデオ。
2週間の限定公開ということで見に行った(公開はさらに延長される模様)。仕事が終わってからなので9時半過ぎのスタート、終わったのが11時半ごろ。観客は結構いた。終了した時、拍手が湧き上がった。
映像からは、ステージを作りこもうとするマイケルの熱意以上に、MJと伴に創り上げるステージに賭けるスタッフの熱意が凄かった。マイケルの突然の死はさぞかし無念だったろうと思う。自らのキャリアアップよりその一期一会を楽しんでいるように感じた。きっと素晴らしいステージが出来上がっただろうと思う。

マイケルがメッセージ性を出しだした頃、ちょっと引き気味なっていた。その無邪気すぎるメッセージは鼻持ちなら無いものを感じていた。マイケルジャクソンが死去して、あまりにもTVで断片的に放映されるので消化不良な気分になってブカレストの公演DVDを購入した。92年の公演とのことなので今から17年前だ。見ていると滅茶苦茶カッコイイ。
僕のお気に入りは『Man in the Mirror』
今回の映像でも、この曲が最後に流れていたが、もう少し流れていて欲しかった。
この曲はブカレストでの失神者続出の映像もさもありなんと思ってしまうほど感動的だ。特に踊りは舌を巻いてしまうほどカッコイイ。創り上げたという踊りが多い中で、この曲のマイケルの踊りは彼の中から湧き出てきているような軽やかなステップなのだ。画面を通して僕の中で何かが弾けるのを感じる。
ふっと、何時の時か忘れたがUEFAのチャンピオンリーグで勝利したチームの誰かが、歓喜の中で踊っていた踊りも同じようなステップだったので、ひょっとしたそんなスタイルがあるのかもしれない。(当時、僕は鳥踊りと勝手に読んでいた)その時もカッコいいなあと思ったが、MJの踊りはさらに揺さぶられる。

『This is it』のリハーサル模様はブカレストの時と構成は大体同じようだった。ただ現代風に様々なバージョンアップをしているようだ。MJは歳を重ねたといえ、いまだに若々しくカッコイイ青年だった。リハーサルなのでマイケル自身のパートは確認する程度だったようで、ステージのような華麗なステップや歌声は無かった。スタッフ達の音楽と踊り、舞台全体が醸し出すものを自分のイメージで創り上げようとしていた。その中の小さな出来事や存在感はやはり凄いと思わざるを得ないものがあった。僕は単純にカッコいいなあ・・・と感動していた。リハーサルを終え休日前の全員ミーティングは皆で手を繋ぎ輪になって、マイケルの言葉を皆が聞いていた。その言葉は凡人が言えば鼻持ちなら無い地球「愛」という無邪気なものだが、映像からはオーラを感じた。なぜか、MJはまだ生きているような気がする。
posted by らまんちゃん at 15:46| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

バターライス

深夜にテレビを見ていたら、『深夜食堂』というドラマをしていた。
小林薫が主演のドラマで、深夜12時から朝の7時まで開店している食堂の話だ。店は汚いカウンターだけの大将が一人でやりくりしている設定。掲げてあるメニューはトン汁定食。他はビールや酒を出しているだけ。客の要望で、店主が作れるものなら時々受けるようだ。その店に訪れる客の人情味溢れる話と「食」を絡めた何ともいえない味わい深いドラマだ。
今回たまたま見て、人情味の話もいいのだが、それはちょっと省略して、もう一つのテーマ「食」はバターライスだった。
暖かいご飯を茶碗に盛り付け、バターを少し載せ、30秒ほどじっと我慢して少し蒸らし、醤油をちょっぴりと掛けて、後は、ひたすら味わいながら食べるだけ。まことに簡単なバターライス。まあ、卵かけご飯のバター版というところだ。ドラマを見ていて無性に食べたくなった。

美味かった!
posted by らまんちゃん at 01:31| 大阪 晴れ| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

どうなるF1

トヨタ、ブリジストンと相次いでF1からの撤退表明。BMWも既に撤退表明しているので来期のF1はどうなるのだろうか?
それよりかNHK特集を見ていると、世界の自動車産業が一気に様変わりしそうな雰囲気だ。石油価格の不安定さ、環境エネルギーの台頭などを通じて、エネルギーが石油から電気へとシフトしてきたということなのだろう。内燃機関からモーターへ変ることにより「車」の技術構造は一気に変化する。ボディーは不燃化を問わなくなり、ガソリンを供給する部品が必要なくなりエンジンがモーターに変ることにより部品数が一気に半分になるという。自動車産業は電機産業になりつつあるのだろう。そのうちパナソニックやソニーの電気自動車が出てくるかもしれない。考えたらものすごい構造改革だ。

F1の技術革新の歴史は内燃機関を基本として、いかに早く走り、安全性を確保する歴史だった。そのシンプルな欲望は様々な技術革新をもたらし、レースは一種の実験場でもあった。早く走るためにものすごいガソリンを一気に燃やすことは、いかに燃費を良くするかという技術でもあった。レースで勝利をもたらし者はその技術開発と伴に華々しい栄光と富を得るのだ。いわば自動車産業の最も先端を走り続けていたのがF1なのだ。そして、栄光を得た技術は一般車に敷衍され、幅広い産業で生産され世界の経済を引張ってきた。
その中では様々な栄華盛衰があった。アルファロメオがフェラーリに変り、夢を持った小さなガレージ工場が生まれ腕を競い、早々に消えていくチームもあり、中には大輪を咲かせたチームも出てきた。
その最先端のスリリングな世界に僕も夢を重ね、いつか自分でチームが組めたらと想って大学の進路もF1で決めたようなものだった(早々に挫折してしまうが・・・)

何時の頃からか、その華々しい世界はショービジネスとなり、多くの人々の熱狂を呼び込み、弱小チームは下位に低迷し存続も怪しいものになってきた。多くのチームはメーカーの広告塔になり、資金の多寡が勝利者の栄冠を左右するものとなってき、最先端技術へのエネルギーが費やされた。今や年間数百億円を投入しなければレースを勝ち抜くことも適わない巨大なものになってきた。それと伴にレース好きのワクワク感で維持されてきたものが企業の業績でチームが左右されてきた。ホンダが昨年去り、そしてトヨタ、ブリジストンの撤退表明だ。昨年のリーマンショック以来の経済破綻は相当なことだということなのだろう。

急速に世界は変ってきている。
今回の撤退表明はどうも日本の行く末を象徴しているように思う。
そして、F1は何処へいくのだろうか?
どうも、ワクワク感の失われた世界が暫く続く気がする。
posted by らまんちゃん at 19:28| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする