小さくない書店(紀伊国屋)なのに、殆ど揃っていない!
もう、過去の作家になったということなのだろうか?
図書館で借りるかネットで購入するしかないようだ。
先日、ネットで「憂国の・・」シリーズをユーズドで買った。古びたものかと思ったが、意外と綺麗なものだった。しかし、本代より郵送費が高いのには驚いた。本を餌に郵送費で利益を上げるビジネスモデルなのだろうか?
話は元に戻るが、本屋で、ムッとしたのは岩波文庫だ、作家別に並んでないので探す気にならない。良く見ると背カバーが色分けして連番になって本棚に置いてあるのだ。欠本の管理を主体とした整理法なのだろうが、購入者のことをどう考えているのだろう?
本屋さんの利用の仕方は二つある。
一つは今回のようにある作家や目的の図書が明確な時。
もう一つは、本屋さんでブラブラする場合。おそらく、こちらのほうが多いように思う。ネタ探しに何となく本棚の周りをうろうろしながら背表紙を眺めながら歩き、気になるタイトルを手にとって、気にいったら購入する。こうゆうケースは大量に買ってしうケースが多い、財布の中身とバランスが取れなくて成ってしまう時もままある。建築関係は特に値が張るので冷や汗を何度もかいた。しかし、買った本は「積読」に成りがちだ。結局タイトルを見た時の一瞬の閃きに得るものが大きいからのように思う。そんな訳なのか、同じタイトルの本が数冊ある。そんな方法で自分の頭の中を整理しているのかもしれない。
ブラウジングという言葉があるが、今はインターネットのブラウザーを指す言葉になっているが、建築では図書館の開放式閲覧室に宛てられていた言葉だったと記憶している。意味は羊が草を目的もなく食んでいる状態を指す言葉だったと思う。図書室や本屋で当ても無く本をブラウジングする時間は今でも、ちょっとした喜びである。


アマゾンだと、一度何かを買うと、そのデータを利用して、売れだの、買えだの、気持ち悪い。
小五の頃から、本屋を始めるまでは、毎日、365日休みなしで、年間、のべ700件超の本屋を覗いていました。それで、分かった事は、経験は、意識上に蓄えられるだけではなく、意識下(無意識レベル)にも蓄えられ、それが、目に見える形で現れると、”神技”と呼ばれるものに成る。
当時は、何処の(初見でも)本屋に入っても、国内であれば、目的の本にほぼ一直線にいけました。トイレもですw 今は無理ですが。
最近のトイレは昔と建物の中での位置づけが変わったような...。