サイズは役所から指定されているのが90cm角である。看板内容をパソコンで書き、当社のプロッターで出力でしようと思うのだが、A1サイズの短辺方向の巾での出力となるので、貼り合わさざるをえない。
いざ、出力の段になるとプロッターのインクが固まっていて使い物にならない!
仕方がないので、A2でプリントアウトした紙を2枚もってキンコーズへ行く。B0サイズなら1枚で済むのだが、大きな機械がないとのことでA0サイズ2枚で出力してもらう。持ち帰って、倉庫から大きなダンボールを持ち出して、2枚に何とか作成できた。
問題は当社の役にたたないプロッターである。
置いているだけの機械は邪魔なだけである。
設置場所面積x家賃を計算すると恐ろしい!
プロッターは大判サイズの図面出力のためにあるのだが、この2年ほど一度も使っていない。
元々プロッターが出来たのは編み機の刺繍をするためにあったようで、パソコンからの出力命令文はミシンの刺繍を機械にさせるために開発されたHP言語がベースとなっている。編み機のような実用に利用するものなら、置いておく理由もあるのだが、図面という役割が変化しているこの時代に必要なものなのか・・・・。
しかし、高価な機械だけに捨てるのも辛い・・・。
最近は図面は殆ど出力しなくなった。するとしても、A3への縮小図面として出力し日常的な打合せや手元控えとして活用している。現場に行くときも設計図はA3の縮小版を製本したものでA4サイズで持ち運ぶようになっている。建設会社に入札を行う場合は設計図の原寸のものをコピーして各社に1部提供する。建設会社は積算するときに、物差しで計って数量を拾ったりするので、原寸図面が必要だ。だが、数社の入札になると馬鹿に成らないコピー数なので最近はPDFファイルに変換して、CDに焼いて渡して、各社でプリントアウトしてもらっている。そうなると、原寸の設計図が必要なのは契約書や役所への提出書類くらいになってきている。もう、図面という、紙を前提とした世界からは遠くに来てしまった。この10年ほどで大きく様変わりしてしまった。その過渡期の産物であるプロッター。
どうしたものか・・・。
最近、紙に製図していた時代が懐かしい。
建築学科の最初は鉛筆の削り方だ。
先日、娘も最初にそれを教わったと言っていた。
和紙などに書いた時には、削り方が如実に反映される。シャープペンシルで画くときも、くるくると回しながら芯の先が常に一定の巾になるように画く。それだけで製図の実力が伺うことができる。コンピュータの作図はそれがないので、素人並みの実力かどうかも判断しにくくなっている。そんなことも建築技術の世界の齟齬を発見できにくくさせているように思う。設計のコンピュータ化の弊害は他にも色々とありそうだ。
僕が建築の世界に入るころは設計図はB版で書いていた所が多かった。それが、B版は日本規格ということなので、徐々に国際規格のA版になってき、現在は書類もA4サイズが基本となっている。
図面は現在も大きな建物はA1サイズ、通常はA2サイズで作図している。
紙のA版、B版ともサイズは縦横比が1:ルート2の比率になっており、A0サイズの面積は1u、B0サイズの面積は1.5uとなっている。いずれにしても、長手を半分に切れば常に相似形が保たれるという優れた寸法体系を持っている。Aサイズは大正の頃にドイツからもたらされた規格のようだ。
ちなみに、畳の寸法は3尺x6尺(91cmx182cm)が基本となっている。一説によると、信長が鉄砲の襲撃に遭ったときに、畳を盾にするために開発された寸法とのことである。各辺の長さの比が1:2となっており、この寸法も空間作成上味わい深いものがある。また、この空間概念によって建築物は出来ているので、秀吉は検地の際に6尺(1間)棒で建物を計測し、税金を徴収したようである。最近は建物が出来上がったら、畳屋さんが寸法を測って畳数に従って製作するので村法比はかなり狂ってきており、再利用は空間的には基本的にはできない。
紙のB版の寸法は美濃紙の大きさを基本としていたようで、江戸時代の公文書はこのサイズを基本としていたようだ。図書などもこの規格の大きさに長らくなっていた。設計図は耐久性のある和紙で長らく書いてきていた。A版サイズの用紙を使用するようになると、トレーシングペーパーになってきた。すぐに破れるし、空調もままならない製図室で汗ばんだ手の湿気を吸収してよく縮んだ。
大学時代、古い建物の図面を借り出してマイクロ撮影とかしていた時を思い出す。図面は全て和紙に画いてあり、中には烏口を用いて炭入れしたものもあった。図面の和紙は時代の経過を感じる「くすみ」はあるものの、ボロボロにもならずに当時の図面の迫力を間近に感じ驚いたのを思い出す。
手の感覚を大切にし、職人としての職能があった時代である。
建築技術ももう一度そんな時代の職能を取り戻す時期のような気がする。
プロッターという、便利だが陳腐化する「商品」に建築技術がダブってしまう今日この頃、皆さんご機嫌如何?。


映画の「オールウエイズ・・・3丁目の夕日」にしても、今、こういうのが売れるのかも・・・などと思いながら、見学。
これは古すぎるで・・・とつっこみたくなるようなどう見ても大正時代と思われるのもありましたが。
グループサウンズのレコードや、駄菓子屋さんなどは、懐かしくて。
・・・つづく・・・
そこに昔の学校を復元させたコーナーがあって、それがね・・・結構、今もこんなん現役で使ってるで〜と思うのがあるんですよね。
分厚い黒い表紙と、綴じ紐の出席簿とか。
黒い黒板に、チョーク。ブリキのバケツも現役です。
夏は汗をかきながら、冬はすきま風にふるえながらの毎日。
ほうき・ちりとり・ぞうきんを使っての掃除。
・・・今の子どもたちは、ほうきの使い方を全く知りません・・・教えるまでは掃除機のように、ほうきを押していくのです。
紙は学校の現場では、今も、主流はB版です。そう、わら半紙というやつ。
学校と言うところが、一番、昔の物をまだ引きずっているのかも。
新聞はA規格のはずなのに、記事をスキャンして保存しようとすると、記事の枠がB4の場合が多いのはそのためでしょうか。
スキャナーの一般用は、A4が、最大なので困りのもです。二分割して撮ろうとしても、なかなか上手くいかないし。
以前、際物の番組で戦前の教科書を集めている人の番組がありました。
当時の教科書は今よりだいぶ優れているように思いました。
熨斗袋の包み方とか、金利計算の仕方とか・・・生活に役立つものがかなりあったように思います。尋常小学校を出たらいきなり社会と係わるようになるので必要だったのでしょうね?「しばわんこ」のような番組が出てくるのも少し頷けます。
僕は、時々、学校の教室改修とかの図面を書きますが、学校建築は、おそらく最も遅れた建築のように思います。遅れていても懐古風の遅れながら夢も見出せますが、最悪の建築思想の時代の産物をいまだに踏襲しています。これは何なのでしょうか?
プロッター処分しないでおきます。ご安心を!
ただ、コンパネ大の大きさは無理です。巾は60cmが限度です。長さはロール紙分が打ち出せます。ただ、当社のプロッターは白黒でしか打ち出せません。最近のカラープロッターなら鳥獣戯画も打ち出せたのにと残念に思っています。
それと
建築の「尺」は「曲尺」で1尺=30.3cmです。「鯨尺」は1尺は40cmくらいあったように記憶しています。
国際規格による統一は仕事の上では有難いのですが、尺貫法でないと理解できないことが沢山あります。建築では条坊制まで話が繋がってくるので、規格を国家が強制することは、歴史を否定することにも繋がると、大げさに考えています。
「寸法」に関しては、まだまだ書きたいことがあるので、いずれプログで!
今、NHKで放送もしていますがこの絵本好きで必ず図書室に入れていました。その、しばわんこが作法を教えたり生活の知恵を教えたり・・と言う内容・・と言うことより、あのしばわんこの表情が実にいいです!
>最悪の建築思想の時代の産物をいまだに踏襲
窓を開けたら雨も雪も教室に降り込んでくる、開放廊下。大震災の時のひびがそのまま。雨漏りはあちこちから。教室に入れたらいいと言う感じです。
A版の教科書やワークが増えてくるのに、小さな机。児童用の机には、昔の小さな教科書ノートは置けましたが今の教科書ノート筆箱をおくと、つめつめで重ねないと置けません。絵の具を出すときはさらに大変です。
視聴覚教育でも、こういう話になったことがあります。
昔は、その地域でもっとも進んだ物のある場所が、学校だった。
ところが、今は、学校にある物はほとんどが時代遅れ。家庭の方により新しい物がある。