非常に含蓄のある言葉だ。
現在100平米くらいの小さな住宅を考えている。
もう、10案くらい作成したと思う。
盛り込めるものは一杯に盛り込む。
もう溢れてしまって収拾がつかない。
そこから機能をを複合化させたり、形状を抽象化させたり
どんどんと殺ぎ落として一つの案を作る。
しばらくして、フッと頭の中に過るものがある。
また、付加し混乱して、新たな案の作成に向かう。
その繰り返しである。最後は結局、元へ戻ったりもする。
しかし、戻ったものは元の案とは似ていても豊かさが
付加されているように思える。
以前していた焼き物の世界にも同じようなものを感じる。
目の前の粘土を何気なく捻り、何かの形を作る。
それを眺めて、削りだす。どんどんと削る。
削っているときは無限の宇宙があるような錯覚を感じる。
あるところで、けりを付け焼きに出す。
高温で焼成された焼き物は、また違ったものとして出現する。
設計という作業は、何かを待っているように思う。
手を動かし続けなくては、何もやってこないように思う。
恣意的なものは必ず破綻する。
待つのみである。
その過程はひょっとしたら麻薬に似ているのかもしれない。


しかし、あえて、自分の中で”創造”という言葉を探すなら、生きかたかなと。どう生きてこようと、今に至ったでしょうね。
ただ、現在も創造の過程と思いたいです。それが、轆轤の上か、窯の中なのか。