2006年02月08日

日本という文化

本来、日本文化のもつ調子の良さは科学的なことでは
話の辻褄が合わないのは誰もが承知していることである。

僕は神道に帰依してはいないが
正月はお宮参りし、賽銭を投げ込んでお願いもする。
仕事柄では地鎮祭がつきもので、本来あっても無くても
いいものなんだけど、あると、やはりケジメがつく。
敷地の一部を依代で囲い、特別な空間と皆が認識し
いい大人が、榊を神棚に祭るときは手も震えている。
まさしく神事が執り行われているのである。

佐渡裕が面白いことを言っていた。
彼がバーンスタインの元で学んでいるとき、他の優秀な弟子たち
の前で、バーンスタインは彼に手のひらをかざせと言う。、
バーンスタインも手のひらをかざし、お互いの手のひらが
極限まで近づく意識で手の平をひたすらゆっくりと移動しろと
命じたそうである。
互いの手の平が徐々に近づくにつれ、手のひらが熱くなって来た
そうで、周囲のものもその所作に徐々に緊張感を感じ出したそう
である。その後、そんな緊張感を表現できるのは日本人だけだと
バーンスタインは言ったそうである。
佐渡裕はそのとき慧眼したそうだ。

日本文化はまさしくそこにあるように思う。
関係性そのものの中に特別な意味をもたせ、その関係性の中で
生きるのがわが国の文化である。
子供が砂浜に一本の線を引き、線のこちら側を此岸、向こう側が
彼岸と認識するように生きてきたのである。
向こう側は神の世界なのである。

そこに科学的な根拠を求めて否定や肯定する野暮な議論はしない。

天皇に代表される文化は日本の固有の文化だと思う。
染色体がどうたらこうたらとか
男子一系の・・・とか
非常に下品な話が喧しい。
小泉氏にあって皇室典範の法案を取り下げるという。
今回の懐妊騒動では男子が出産するのが既定のことのような
雰囲気だ。本来、彼岸の話を政治家という最も下卑た人間が
行うことではない。

靖国問題にしても、そこに故意に政治性を帯びさせる両国の
国家の為政者のための議論にしか過ぎない。

線を一本引きさえすればいいのである。
posted by らまんちゃん at 19:21| 大阪 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どう書こうかと、カラスのように、考えていたら、なんと、コウノトリ。
これも、小泉強運伝説の一つとか。
皇室典範の改正を急いだのは、皇太子と雅子妃の離婚問題との説。
理由はどうであれ、改正に突進していれば、内閣はもたなかったでしょう。
男系の万世一系は、天皇制の物語の根幹と考えています。それこそが、日本の根元。それを崩すことは、天皇制の廃止と同義です。
Posted by まー at 2006年02月13日 22:56
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